食品安全委員会の20年を振り返る
第7回 BSE問題後編〜プリオン病情報を収集し、リスクに備える
2023年(令和5年)12月18日
食品安全委員会委員 松永和紀
BSE以外にもあるプリオン病
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前編で、牛海綿状脳症(BSE)と変異型クロイツフェルト・ヤコブ病(vCJD)問題のこの30年あまりの経緯について説明しました。これらは、感染性を持つタンパク質様の病原体を意味する造語である「プリオン」に感染することで起きる病気で、総称して「プリオン病」と呼ばれています。
プリオン病はこれだけではありません。牛には、ここまで説明してきたBSE(「定型BSE」と呼ばれています)のほか、「非定型BSE」があります。また、牛やヒト以外のめん羊(ヒツジ)、シカ、ミンク、ネコなどの動物種でも見つかっています。近年、とくに世界で警戒が強まっているのがシカの病気、「慢性消耗病」(Chronic wasting disease ; CWD)です。
食品安全委員会はこれらの情報収集も続け、他国政府機関の報告書の要約を翻訳したり、ファクトシートにまとめたりするなどして、ウェブサイトで公開しています。
これらが将来、日本の食に関係してくることはない、とは言い切れません。プリオンによる病気はまだ、わからないことが数多くあります。したがって、ヒトへのリスクとならないように、さまざまな動物種で調査や研究を継続し、万一、リスクの懸念が生じた時に迅速にリスク評価し、効果的なリスク管理を行えるように備えておくことが重要です。
食品安全委員会だけでなく農林水産省や厚生労働省も、プリオン病について、国内の調査や国内外の情報収集、研究助成等に余念がありません。そうやって、将来の食品安全を守ろうとしています。
今回は、定型BSE以外のプリオン病についての情報をまとめ、食品安全委員会の現在の取り組みも紹介します。
世界で166頭が確認されている非定型BSE
牛の病気である非定型BSEは、定型BSEとプリオンの大きさ(分子量)が少し異なり、検査で識別することができます。発生原因は不明。症状は定型BSEと同じですが、単独で発症し、同じ群で飼われている牛がBSEになるわけではありません。そのため、自然に発生する「孤発型」とみられています。
ヒトのプリオンによる病気であるクロイツフェルト・ヤコブ病にも、自然に発生するタイプがあり、孤発性クロイツフェルト・ヤコブ病と呼ばれています。年間に100万人の1人の割合で発症する、とみられています。同じように、牛にも孤発型があるようです。
定型BSE | 非定型BSE | |
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定義 | BSEプリオンが主に脳に蓄積し、脳の組織 がスポンジ状になり、異常行動、運動失調 などを示し死亡すると考えられている疾病 英国で1986年に発生を確認 |
ウェスタンブロット法の結果(電気泳動像)が定型BSEとは異なるパターンを示すBSE |
原因 | BSEプリオンで汚染された飼料の経口摂取 | 発生原因の詳細は不明 (孤発性の発生であることが示唆) |
潜伏期間・確認時年齢 | 平均潜伏期間は5〜5.5年(潜伏期間はBSEプリオンのばく露量による) | ほとんどは8歳齢超で確認(6.3歳〜18歳) |
世界での発生頭数 | 約19万頭 | 166頭(2023年6月現在) |
出典:農林水産省第9回農業・農村政策審議会家畜衛生部会プリオン病小委員会資料、同省「海外におけるBSEの発生について」などから作成
定型BSEと異なる非定型BSEが存在することは、2000年代初頭にはわかっていました。農林水産省動物衛生課によれば、世界で非定型BSEが高齢牛を中心に年間数頭ずつ、計166頭が見つかっています。日本では2003年と2006年に1頭ずつ確認されています。
食品安全委員会は、これまでのBSEのリスク評価では、非定型BSEのデータも含めて行ってきました。
非定型BSEも、サーベイランスと研究
非定型BSEのプリオンにも2種類あり、1種は、ほかの牛に非常に大量に食べさせると非定型BSEを発症することが、農研機構の研究などでわかっています。では、定型BSEのような感染拡大がまた、起きるのか? という心配はしないでください。牛の食肉処理によりできる肉骨粉を牛の飼料とすることは、今も世界各国で禁止されています。また、プリオンが蓄積しているとみられる特定危険部位の除去も続けられています。そのため、定型BSEと同じ経路で非定型BSEの感染が広がる可能性は考えにくいでしょう。
しかし、非定型BSEも不明の点が多いのはたしか。感染経路がほかにないとも限りません。したがって、適切なサーベイランス※と研究を行って非定型BSEの動向をチェックし続けなければなりません。
※サーベイランス:問題の実態や動向を把握し、必要に応じて対策を講じるため、疾病の発生状況、ハザードの含有実態等の変化を系統立てて調査(収集、解析)すること。これに対してモニタリングは、疾病の発生状況、ハザードの含有実態等の変化を監視、探知し、是正措置を講じるために調査する
国内では、最後の定型BSE感染牛の確認が2009年、非定型BSEは2006年で、この10数年は発生が確認されていません。厚生労働省は、食肉用とされる健康牛についてはもう検査を行なっていませんが、BSEの懸念が少しでもある牛、たとえば、食肉用に出荷されたものの獣医師が神経症状をきたしていると判断した牛、病気や事故で死亡した牛で神経症状などを示していた個体などについては、今も検査を実施しています。定型、非定型を問わず、BSE発見に努める体制は、継続されています。
また、厚生労働省や農林水産省は、非定型BSEの研究助成を長年、継続しています。食品安全委員会も、世界の情報を収集しその要約を翻訳し、食品安全情報システムでデータベース化して公表しています。
今のところ、世界的に非定型BSE感染牛が増える兆候はなく、自然発生しているものの感染拡大はしていない、とみられています。
図1 世界の非定型BSE感染牛、確認数の年次推移
農林水産省「海外におけるBSEの発生について」から作成
ヒツジのスクレイピーは250年前から
牛以外には、めん羊(ヒツジ)や山羊におけるプリオンの病気が有名です。牛とは異なり、250年前から欧州やアジア、北米等で報告されており、「スクレイピー」という病名で知られていました。伝達性があり、ヒツジや山羊が出産する時の体液や組織を介して子どもの個体にうつりますが、大人の個体には伝達しにくい、とされています。
また、これまでの定型スクレイピーとはプリオンが少し異なる「非定型スクレイピー」も見つかっています。高齢の個体に自然発生する「孤発型」で、こちらも伝達しにくい、とみられています。
国際獣疫事務局(WOAH、2022年以前はOIEと称されていた)は、スクレイピーについては定型、非定型ともにヒトには感染しない、と判断しています。食品安全委員会でも、プリオン専門調査会でめん羊や山羊のBSE対策について評価した際に、「現時点では、めん羊及び山羊の肉、内臓等の摂取に由来するスクレイピープリオンによる人の健康への影響は考え難い」と判断しています(第93回プリオン専門調査会)。
プリオン病の中に伝達型と孤発型がある
以上のように、さまざまな動物にプリオンによる病気があり、動物の種によりプリオンのアミノ酸配列や構造が少しずつ異なります。プリオン病の中で伝達性を持つものは学術的に、「伝達性海綿状脳症」(transmissible spongiform encephalopathy; TSE)と呼ばれています。
多くのプリオン病は、ヒトに直接うつることはない、とみられています。しかし、1980年代から2000年代まで大きな問題となった定型BSEの起源は、米疾病予防管理センター(CDC)によれば、自然発生したBSE感染牛か、プリオン病にかかったヒツジから作られた肉骨粉が飼料として牛に与えられて発生した、という説が有力。そして、定型BSEは感染拡大し、ヒトのvCJDを招いたと推定されています。
つまり、さまざまな動物種のプリオン病が、なにかのきっかけで伝達性を持ち最終的にヒトの健康にリスクとなるおそれがあります。したがって、伝達性のないプリオン病も含め幅広くサーベイランスやモニタリングを行って見つけ出し、管理してゆく必要があります。農林水産省は家畜伝染病予防法に基づき、国内において18カ月齢以上で死亡しためん羊と山羊、それに鹿(シカ)を対象にTSEの監視・調査を実施しています。
世界で見つかるシカの病気、CWD
監視対象にシカも入っていることに、お気づきですね。
世界的に今、シカの病気、「慢性消耗病」(Chronic wasting disease、CWD)の発生が目立ち、各国ともに警戒を強めています。非定型BSEやスクレイピーは増加傾向が見られないのに対し、CWDは報告数が増えているからです。
CWDは、ミュールジカ、オジロジカ、アカシカ、エルク・ムース(ヘラジカ)などの病気で、2023年3月末現在、米国、カナダ、 韓国、ノルウェー、スウェーデン、フィンランドで見つかっています。
シカがCWDにかかると、元気を失い痩せ細り、唾液の分泌量が増え、ふるえや歩行異常、運動失調、四肢麻痺等の神経症状を呈し、歩行不能となり死亡します。病原体であるプリオンは、感染したシカの脳や脊髄、末梢神経、リンパ系組織、骨格筋や臓器、血液などで広く確認されています。
WOAHは、CWDを伝達性のあるTSEの一種とみています。感染したシカは、唾液や糞便中にCWDプリオンを排出しそれが、ほかの個体の口から入ってうつるという「水平感染」が起きるようです。また、母ジカから胎児へうつる「垂直感染」も報告されています。
食品安全委員会も、CWDのファクトシートをまとめています。米国では、1967年に飼育されていたシカで発見されたのが第1号。野生では1981年が初発でした。2000年頃から中西部、南西部、東海岸にも広がり、現在は少なくとも野生・飼育合わせて 31州 に拡大しています(ファクトシートでは30州としていますが、6月にフロリダ州で確認され31州となりました)。
表2 CWDの世界的分布
出典:食品安全委員会ファクトシート
北欧の野生個体でも、確認されています。
気になるのは韓国です。以前から見つかっていましたが、2016年以降、感染個体が多く報告されています。
図2 韓国でのCWD発生数 図3 韓国における発生場所
出典:食品安全委員会ファクトシート
ヒトに直接伝達するかどうかについては調査や研究が行われていますが、今のところ、伝達は確認されていません。サルへの接種実験では、リスザルには伝達した一方、カニクイザルには伝達しませんでした。また、感染したシカの肉を食べたヒトは、6年間の追跡でCJD症例は確認されませんでした。
国内では、家畜伝染病予防法に基づきサーベイランスが継続して行われていますが、CWDはまだ見つかったことはありません。また、CWD発生国からのシカ科動物やその畜産物の輸入は、停止措置が講じられています。
食品安全委員会は、収集した海外情報の要約の日本語訳を、ウェブサイトの食品安全総合情報システムで公開しています。「CWD」と入力して、検索してみてください。
科学的に正しい情報を発信する
プリオン病はまだわからないことが多数あります。そもそも、定型BSEのはじまりが確定していません。プリオン病といっても動物の種によってプリオンは少しずつ異なり、「種の壁」があってほかの種にはうつりにくいはずなのに、定型BSEはヒトに深刻なリスクとなりました。どうして「種の壁」を超えたのか、今も研究が続いています。逆に、ヒツジのスクレイピーがなぜ、ヒトにうつらないのかもわかりません。
しかし、各種のプリオン病を管理し、ヒトの健康を守らなければなりません。プリオン病について、たとえばCWDを「狂鹿病」「ゾンビ病」などと報じるメディアも出てきています。科学的に正しい情報を一般の人たちに届けてゆくことが必要です。
プリオン専門調査会の専門委員として第1回会合からBSEのリスク評価に携わってきた山本茂貴・食品安全委員会委員長に、この原稿の最後にお尋ねしてみました。この20年とは? 山本委員長はこう答えてくれました。「BSEの評価は当初、不明な点が多かった中で評価を行う難しさがありました。また、飼料規制やと畜場での管理、サーベイランスなど、すでに取り組まれているリスク管理手法について検討する、というリスク評価のやり方は、通常の手法とは異なり、苦労しました。全国を回ってリスクコミュニケーションも行ったのですが、参加者の方から、『理解はしたけれど納得はできない』と言われたのを鮮明に思い出します」。 市民の自然な感情も大事にしつつ、でも、食品安全委員会の基本は科学です。山本委員長は「シカの病気であるCWDがヒトにうつった、という報告はありません。しかし。公衆衛生上の問題にならないよう監視していく必要があります。今後も、国民の健康保護が最も重要、という基本姿勢を崩すことなく、リスク評価に取り組みます」と話しています。 |
山本茂貴・食品安全委員会委員長 |
<参考文献>
- 農林水産省・牛海綿状脳症(BSE)関係
- 国際獣疫事務局・Bovine spongiform encephalopathy (BSE)
- 国際獣疫事務局・Scrapie
- 食品安全委員会評価書・めん羊及び山羊の牛海綿状脳症(BSE)対策について
- 食品安全委員会ファクトシート・慢性消耗病(Chronic Wasting Disease; CWD)[PDF形式:1,426KB]