食品安全委員会の20年を振り返る

第6回 BSE問題前編〜20年前、食品安全委員会設立のきっかけに

2023年(令和5年)11月27日
食品安全委員会委員 松永和紀

 

食品安全行政を変えたBSE問題

 

 

 

牛

  • 原因は、感染性タンパク質「BSEプリオン」
  • BSE感染牛の脳や脊髄などを食べたヒトが感染し、vCJDを発症
  • BSE感染牛は世界で約19万頭、国内で36頭。vCJD患者は世界で230人、国内は英国滞在経験者1人
  • 日本の食品安全行政の問題点が明らかとなり、2003年に食品安全委員会を設立

日本で初めて、牛海綿状脳症(BSE)に感染した牛が見つかったのは2001年のことでした。最後に国内で感染牛が見つかったのが2009年。BSE問題は、日本の食品安全行政を大きく変えました。ところが、今では知らない人が増えているようです。

BSEは過去の問題なのか? いえ、そうではないでしょう。1980年代から2000年代にかけて世界中がパニックに陥ったのは「定型BSE」と呼ばれるもの。これは、関係者の努力によりほぼ、抑え込めました。しかし、非定型と呼ばれるBSEは今も、各国で報告されています。また、BSEと同じような病気がほかの動物種において発生しています。
これらが、過去の定型BSEのような“危機”にならないように、世界で調査や対策が続いています。日本国内でも、引き続きBSEのリスク評価やリスク管理を厳しく行うとともに、別の動物種も含めた感染情報の収集を行っています。

食品安全委員会は2003年の設立以降、BSEに関係する多数のリスク評価を行いリスクコミュニケーションも実施してきました。BSE問題を教訓とし、これからも情報を収集し、最新の科学に基づき厳しいリスク評価を行います。そこで、20周年を機にBSE問題を改めて振り返り、食品安全委員会やリスク管理機関が今、なにに取り組んでいるのか、2回にわたってお伝えします。

病原体はタンパク質だった

BSEは当初、ヨーロッパのメディアが名付けた「Mad cow disease」を訳した「狂牛病」という名称で報じられていました。国は正式な病名である「bovine spongiform encephalopathy」を日本語に訳した「牛海綿状脳症」とその頭文字のBSEという名称を使っています。牛が異常行動、運動失調などを示し最終的には死亡します。

BSEは1986年、英国で発生が確認され、感染牛が次々に見つかりました。原因は「BSEプリオン」に感染することと考えられています。感染症というと細菌やウイルスを思い浮かべますが、プリオンは、感染性を持つタンパク質様の病原体を意味する造語です。

動物の体内にはもともと、「正常プリオンタンパク質」が存在し、有害性はありません。一方、「異常プリオンタンパク質」は正常型とアミノ酸配列は同じですが、立体構造が異なります。異常プリオンタンパク質が体内に入ったり、体内で自然に生じたりすると、正常プリオンタンパク質も異常プリオンタンパク質に変化し凝集し神経細胞変性が広がり、潜伏期間を経て症状が現れ死亡します。

正常プリオンたんぱく質から以上プリオンたんぱく質への変化

出典:食品安全委員会牛海綿状脳症(BSE)に関する基礎資料を改版


BSEがいつどこで、どのようにして生まれたのか、説はいろいろありますが今も確定していません。しかし、感染が広がった経路は推定されています。BSEに感染し、体内に病原体であるBSEプリオンが蓄積した牛が「と畜解体」された時に、食用にならない部分が「肉骨粉」に加工され牛の飼料となり、それを食べた牛の体内にBSEプリオンが入る、というルートで、BSEの感染が広がった、と考えられています。

さらに、ヒトがBSE感染牛の脳や脊髄などを食べてBSEプリオンを体の中に取り込みました。これにより、もともとあった正常プリオンタンパク質が異常プリオンタンパク質に変化し、異常行動や運動失調などを経て死に至る「変異型クロイツフェルト・ヤコブ病」(variant Creutzfeldt-Jakob disease ; vCJD)につながった、とみられています。

世界で牛19万頭が感染、ヒト患者は230人

BSE、vCJDの英国での発生と世界への広がりを受け、各国の政府機関が対策を講じ研究機関も調査や研究を加速しました。動物衛生や人獣共通感染症に関する国際基準策定などを行う政府間機関、国際獣疫事務局(WOAH、2022年以前はOIEと称されていた)を中心に協議も行われました。世界的な対策として、BSEプリオンが含まれる可能性のある肉骨粉等を飼料として牛など反芻動物に給与しない「飼料規制」や、BSEプリオンが含まれる可能性のある部位(SRM:Specified Risk Material、特定危険部位)を食用としないこと、牛の検査などが行われました。

これらにより、BSE感染牛は1992年をピークに急減しました。ヒトがBSEプリオンを摂取してから発症までの期間は一般に8〜10年、とされています。vCJDの発症者も2000年に最大となりましたが減少しました。
これまでに、BSE感染牛は計19万頭あまり(うち英国で約18万5000頭)が見つかり、ヒトのvCJDはエジンバラ大学によれば230人が確認されています(同大はそのほか、輸血により3人が感染した、としています)。このうち185人は1980年から96年の間に英国に6カ月を超えて住んだことがある人でした。1990年以降に生まれたヒトでの感染は確認されていません。

 

発生件数のグラフ 
出典:食品安全委員会の20年

日本ではBSE感染牛36頭、患者は1人

日本では、2001年にBSE感染牛が初めて見つかり、計36頭の感染が確認されました。諸外国と同様に飼料規制や特定危険部位の除去、検査などの対策が講じられ、2009年を最後に感染牛は見つかっていません。また、ヒトのvCJDは、英国滞在歴のある1人の発症報告のみにとどまっています。
以上が、BSE問題のこの30数年のおおまかな経緯です。

食品安全行政の問題点があらわに

今となっては落ち着いて振り返ることができますが、国内で2001年8月に起立不能の牛が見つかり、9月に農林水産省が「BSE感染を疑う牛が確認された」と公表した当時、日本社会も大混乱に陥りました。海外の感染牛やvCJD患者の映像が繰り返しテレビで流され、新聞でも連日報道され、人々は震え上がりました。

当時、研究によりBSEプリオンのほとんどは肉ではなく脳や脊髄などにあることがわかっていました。と畜解体され食肉処理される牛から、それらの部位を除去・焼却する対策が講じられ、食肉処理される牛の全頭検査が始まり、国は「牛肉は安全」などと伝えたのですが信用されず、牛肉が売れなくなりました。

社会の混乱を受け、厚生労働大臣と農林水産大臣は2001年11月、私的諮問機関として「BSE問題に関する調査検討委員会」を設置しました。獣医学者やジャーナリスト、消費者団体役員などから構成され、産業界や農業者、政府関係者は含まれません。この調査で、食品安全行政の問題点が明らかとなりました。2002年4月にまとめられた報告書では、非常に厳しい指摘と提言が多数行なわれています。

2003年、食品安全基本法施行

中でも重要だったのは、科学と行政の関係について、です。EUが2000年、日本を「国産牛がBSEに感染している可能性が高いが、確認されていない」というカテゴリーIIIと結論づけようとしたのに対し、農林水産省がEUに評価の中断を要請していたことが、明らかとなりました。しかも、このことは公表されていませんでした。
調査検討委員会は「論拠は明らかでないが、BSE発生リスクがあるという結論が風評被害を引き起こすことを恐れたためではないかと推測される」と報告書に記述しています。つまり、科学的であるべき評価が、産業への影響を懸念するあまり、ねじ曲げられた、と判断されました。

こうした事実も踏まえ、委員会は「科学的なリスク評価を関係省庁から独立した行政機関で行うべき」と提案しました。そして、2003年に食品安全基本法が施行され、食品安全行政にリスク評価・リスク管理・リスクコミュニケーションから成る「リスクアナリシス」が導入されました。さらに、独立したリスク評価機関である「食品安全委員会」が内閣府に設置されました。

食品安全委員会は今も基本姿勢として、「利用可能な最新の科学的知見に基づき、科学的判断のもとで適切に、一貫性、公正性、客観性および透明性をもってリスク評価を行い、評価内容を明確に文書化する」としています。厚生労働省や農林水産省などリスク管理機関との機能的分離と独立性の確保もうたっています。BSE問題を契機として設立された当時の精神は、現在も脈々と息づいています。

計68のリスク評価

ここからは、食品安全委員会がこの20年、BSEに関してどのようなリスク評価を行ってきたかを紹介しましょう。
食品安全委員会は、「プリオン専門調査会」でリスク評価を検討したものを含め、これまでに60を超える評価書等をまとめました。えっ、そんなに多いの? と思われるかも。国内で厚生労働省や農林水産省が規制を変更しようとする際には、リスク評価が依頼され実施しました。また、BSEが発生した国からの牛肉輸入が再開される前にも、評価をしてきました。
規制措置の変更により国民のリスクが大きくなってはいけません。食品安全委員会は、「もし規制措置が変更された場合、リスクの大きさはどう変わるか」を評価したのです。

まず2004年9月、BSE対策についての見解を「中間とりまとめ」として公表しました。2001年にBSE感染牛が初めて見つかって以降の3年間に、約350万頭の牛が検査された結果なども踏まえ、「その時点で行われていた牛の検査や脳や脊髄など特定危険部位の除去によって、リスクはほとんど排除されている」と推定しました。

牛の体内の異常プリオンタンパク質の99%以上は特定危険部位に集中しており、特定危険部位をしっかり除去すること、肉に異常プリオンタンパク質が付くという「交差汚染」を防ぐことが重要、としました。そのほか、飼料規制の重要性、牛の検査の意義と限界についても触れました。日本のvCJD発生数については、英国の状況をもとに2通りの試算をし、0.1人、あるいは0.9人と予測しました。

リスクコミュニケーションも実施

さらに2004年10月、検査対象の月齢変更をはじめとする規制見直しについて、厚生労働省と農林水産省から評価依頼を受けました。食品安全委員会は、「中間とりまとめ」の内容などについて人々に情報を提供し意見を聞くため、全国50会場で意見交換会を開きリスクコミュニケーションを実施しました。そのうえで、プリオン専門調査会で詳細に議論しパブリックコメントも経て2005年5月、規制見直しについての評価書をまとめました。
 
BSEの侵入/飼料/BSEプリオンの牛の体内での分布/と畜の方法/検査……などについて検討した結果、検査の対象を全頭から21カ月齢以上とする検査月齢の線引きについて、「人に対するリスクは、あったとしても非常に低いレベルの増加にとどまる」と判断しました。専門調査会での専門委員による議論で意見が一致しなかった部分についても、「批判的意見」として評価書に記述しました。これを受け、厚生労働省は検査対象月齢の変更を行いました(実際には、検査費用の国庫補助があり、検査が続けられました)。
 
その後も、米国など他国でBSEが発生し輸入がストップし、対策が講じられて輸入再開が検討される際にもリスク評価を行いました。また、国内で検査対象の牛の月齢を段階的に引き上げる際、そして2015年から始まった検査廃止の検討においても、リスク評価が要請され、食品安全委員会が審議しパブリックコメントも求め評価をまとめてきました。
 
それぞれ、「リスクの差はあったとしても非常に小さく、ヒトへの健康影響は無視できる」などの評価結果となった場合、各省が対策を変更しています。
審議の議事録や資料、パブリックコメントへの回答、評価書は、ウェブサイトで公開しています。また、段階的な規制変更については、厚生労働省や農林水産省のウェブサイトで説明されていますので、ご関心のある方はお読みください。
 
食品安全委員会がBSEについて行った主なリスク評価の内容
時期 概要
2004年9月 日本における牛海綿状脳症(BSE)対策について−中間とりまとめ−
2005年5月 我が国における牛海綿状脳症(BSE)対策について
2005年12月 現在の米国の国内規制及び日本向け輸出プログラムにより管理された米国から輸入される牛肉及び牛の内臓を食品として摂取する場合と、我が国でとさつ解体して流通している牛肉及び牛の内臓を食品として摂取する場合の牛海綿状脳症(BSE)に関するリスクの同等性
2008年12月 食品健康影響評価を行うことが明らかに必要でないときについて (ピッシングを実施してはならないことを規定すること)
2010年2月 我が国に輸入される牛肉及び牛内臓に係る食品健康影響評価(オーストラリア)
2012年10月 牛海綿状脳症(BSE)対策の見直し
2013年5月 牛海綿状脳症(BSE)対策の見直し(2) (我が国の検査対象月齢の引き上げ)
2013年7月 牛の部位を原料とする肉骨粉等の肥料利用について
2016年1月 めん羊及び山羊の牛海綿状脳症(BSE)対策について
2016年8月 牛海綿状脳症(BSE)国内対策の見直し(健康と畜牛のBSE検査の廃止)について
2018年2月 英国から輸入される牛、めん羊及び山羊の肉及び内臓について
WOAHは、加盟国のBSEの安全性について「無視できるBSEリスク」、「管理されたBSEリスク」「不明のBSEリスク」の三つに分類しています。日本は管理の実績を認められて2013年、「無視できるBSEリスク」に認定されました。その後も毎年、検査結果などをWOAHに報告し、このステータスを維持しています。

リスクを伝えることの難しさ

BSE問題に対する社会の関心は当初、非常に高く、食品安全委員会のリスク評価も多数の批判を受けました。
行政のさまざまな問題が不信を招いてしまってのスタートだったので、批判は当たり前でしょう。食品安全委員会としては丹念に説明を続け、意見を得てさらに厳しく充実した内容の評価書を目指す、という取り組みを続けるしかありませんでした。

私は当時、科学ジャーナリストとして食品安全委員会を取材する立場でしたが、リスクをめぐる科学を伝えることの難しさを感じざるを得ませんでした。

リスクという概念は、将来の可能性に対する科学的な推定です。それまで、日本の食品安全行政は、事件事故等が起きたら対応しその後は同様なことが起きないようにするという「後始末」の性格が色濃かったように思います。産業振興などを視野に入れた恣意的な対処が行われることがありました。逆に、事件事故に対する人々の怒りの感情には沿うけれども科学的には効果がない、というような施策も実行されました。
そうしたことを反省し、データを根拠にリスクを推定し事件事故を科学的に「未然防止する」というリスクアナリシスが導入されたのです。

しかし、牛のBSEやヒトのvCJDは、わからないことがまだ残る病気です。不明の部分も見据えながら、でも、得られたデータを科学的に検討し、最悪のシナリオをもとにリスクを推定し、その時点で最善のリスク管理を実施して事件事故を防止する……。一般の人たちは、そんなリスクアナリシスの考え方になじみがありませんでした。たしかに、「リスクは、あったとしても非常に低いレベルの増加にとどまる」とか「リスクの差はあったとしても非常に小さい」というような表現は、わかりにくいものでした。

そもそも、「リスクはゼロ」ということは科学的には証明不可能であり、科学者は、リスクはゼロとは判断しないし表現もしない、ということも知られていませんでした。評価書の科学的な意味は、なかなか理解してもらえませんでした。

私自身、2005年に出版した書籍で「2003年に米国でBSE発生と報じられた後、娘にせがまれて牛丼屋へ行った」というエピソードを書いたところ、一部の生協関係者から「なんとひどい母親なのか」と批判を受けました。しかし、BSEプリオンは主に脳や脊髄などにあることや米国のBSE防止策など、自分なりに調べた結果、リスクの懸念はない、と考えての判断でした。その後も、国産や米国産牛肉の安全性を、食品安全委員会の評価書などを引用し説明しようとしても、聞いてもらえない、読んでもらえない、という経験をたびたびしました。

科学が、人の感情にフィットしないことは間々あります。しかし、すべての人や国などに公平に中立に対処し、安全を守るには、やっぱり科学が根拠となります。私自身も、感情を思いやりつつも科学的な説明を尽くしてゆくしかない、ということをBSE問題から学びました。

BSE調査・研究でわかってきたこと

ともあれ、食品安全委員会はこの20年、プリオンについてのリスク評価を重ねてきました。リスクの考え方、リスクアナリシスの仕組みも、少しずつ理解してもらえるようになったようです。
BSEの調査や研究は進んでおり、興味深いこともわかってきました。その一つとして、最後にグラフをご紹介しましょう。複雑に見えるかもしれませんが、そうでもありません。

 

日本のBSE感染牛の出生年月と確認年月
出典:食品安全委員会牛海綿状脳症(BSE)に関する基礎資料を改版


赤い丸が、BSE感染牛1頭ずつを表しています。横軸がBSE検査陽性、つまりBSE感染が確認された年で、縦軸がその牛の月齢です。2010年以降は感染牛がみつかっていないこと、ほとんどの牛が48カ月以上で感染が見つかっていることが読み取れます。

この牛1頭ずつのプロットにより、斜めに二つの帯があることが見えてきました。つまり、(1)1995年から1996年に出生した牛が、BSEプリオンを含む飼料を与えられ、2001年ごろから発症しはじめた、(2)1999年から2001年にかけて生まれた牛がやはりBSEプリオンを含む飼料を与えられ、2004年ごろから発症し始めた、と推測できそうです。

2009年を最後に感染牛が確認されず、三つめの帯が生じていないことから、おそらく感染牛が初めて見つかった2001年以降は、BSEプリオンの牛の飼料への汚染を完全に防ぐことができた、と推定されます。規制が有効に機能していることも、このグラフから見えてくるのです。

でも、斜めの二つの帯から外れている赤い点があるのでは? 非定型と書いてある……。グラフをよくご覧になった方は、そこに気づくでしょう。
BSEには定型と非定型があります。今、各国は定型BSEのリスク管理を継続しつつ、非定型BSEにも注目し、調査やデータの解析を行っています。また、ほかの動物種におけるプリオンの病気も警戒しています。食品安全委員会も情報収集に努めています。
次回後編で、BSE問題を反省、教訓に今、行っていることをお伝えします。

<参考文献>