食品安全委員会の20年を振り返る
第3回 カンピロバクターとの長い闘い
2023年(令和5年)7月14日
食品安全委員会委員 松永和紀
鶏肉の生食とカンピロバクター
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「食の安全」の中で特に気をつけるべきことは?
大多数の食品科学者はこう答えるでしょう。「微生物による食中毒です」 厚生労働省の食中毒統計によれば、微生物(細菌、ウイルス、寄生虫など)により毎年数千人から1万人以上の患者が発生し、死者が出る年もあります。しかし、この数字は患者の受診により医療機関が保健所に届け出るなどして調査が行われた結果、食中毒と確定したもの。実際には、受診しない患者も多く、菌の種類によっては統計数字の数十倍から数百倍の食中毒患者が発生しているかもしれない、ということが、厚生労働科学研究や食品安全委員会が実施する食品健康影響評価技術研究により推測されています。ところが、警戒していない人が目立ちます。 食品安全委員会は、食中毒の原因となる微生物についてもリスク評価を行なっています。今回はその中から、細菌カンピロバクターを取り上げます。鶏肉等の生食や加熱不十分な鶏肉料理により多数のカンピロバクター食中毒が発生しています。 |
図1 カンピロバクター(Campylobacterjejuni) |
鶏の腸管内にいるカンピロバクター
カンピロバクターは家畜の消化管内などにいて、鶏では症状が現れない細菌です。食鳥処理をしたときに腸の内容物が肉やほかの内臓に付きやすく、また、感染個体からほかの鶏の肉や内臓にも付着しやすい、という特徴があります。
ヒトがカンピロバクターに感染すると、腹痛や下痢、発熱、頭痛、全身の倦怠感などの症状が出ます。5日程度で回復するとされ、死亡例は極めて少ないものの、一部の人は感染後にギラン・バレー症候群を発症すると考えられています。手足の力が入りにくくなり顔や体の筋肉が麻痺します。呼吸に関係する筋肉に麻痺が起きると人工呼吸器をつけざるを得なくなることもある深刻な病気です。
カンピロバクターによる食中毒は、以前は少なかったのですが、1990年代後半に急増。2000年代に入ってからは、細菌による食中毒の発生件数で1位を記録し続けています。

対して営業時間短縮や休業要請などが行われた影響が大きく、事件数、患者数共に減ったとみられる
鶏肉の生食が食中毒を引き起こす
では、カンピロバクター食中毒の主な原因は?
厚生労働省や農林水産省、消費者庁がさかんに注意喚起しているので、ご存知の方も多いでしょう。鶏肉の生食や加熱が不十分であることが大きな問題です。
この記事では、食品安全委員会がどれほど苦労してリスク評価を行い、鶏肉の生食が大問題であることを明らかにしたのかをお伝えしたいのですが、最初に結論から示しましょう。
食品安全委員会が2009年にまとめたリスク評価書によれば、日本では鶏肉を生で食べる人が約30%を占めると推計され、その人たちが1食を食べた時に感染する確率は平均して家庭で1.97%、飲食店で5.36%でした。一方、鶏肉の生食をしない約70%の人の1食あたりの感染率は家庭で0.20%、飲食店で0.07%でした。
また、1人あたりの年間平均感染回数は、鶏肉の生食をする人で3.42回、生食をしない人では0.364回と推定されました。
平均延べ約 1.5 億人が年間に感染することが推定され、うち80%が生食する人で占められる、という結果です。つまり、鶏肉の生食がカンピロバクター食中毒の主因である可能性が高いことが示されたのです。
なぜ、生食しない人はリスクゼロではないの? そんなふうに思われる人がいるかも。生の鶏肉についていたカンピロバクターが調理中に包丁やまな板などの器具を介して他の料理に付いたりすることもあり(交差汚染と呼ばれています)、生食をしなくても感染することはあります。しかし、そのリスクに比べて生食のリスクははるかに大きいことが、食品安全委員会の詳細なリスク評価によりわかりました。 以前から九州の一部では、鶏肉の表面を焼いた「鳥刺し」を食べる風習があったようです。他地域にも広がり飲食店で出されるようになった際に、加熱加工用の鶏肉を加熱不十分なまま提供するケースが増え食中毒も増加した、と考えられます。 |
![]() 以前は九州の一部地域の料理だった「鳥刺し」。他地域の飲食店にも広がるうちに、加熱加工用の鶏肉が加熱不十分なまま提供されるようになった、と考えられている
図3 鳥刺し
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「定量的なリスク評価」を目指す
この評価結果に至るのに、5年かかりました。
話は、食品安全委員会が設立された翌年、2004年に遡ります。食品安全委員会は2003年の設立後、農林水産省や厚生労働省から依頼を受けて、まずは残留農薬や食品添加物などのリスク評価に力を注ぎました。一方で、食品安全委員会が自主的に行うリスク評価(自ら評価)として、細菌やウイルスなどによる食中毒に注目しました。これらは、深刻な健康被害を及ぼすハザードだからです。
しかし当時、食中毒の原因となる各種の微生物についての「定量的なリスク評価」は、日本では進んでおらず、方法論も確立されていませんでした。その微生物をどれくらいの数食べると発症したり深刻な悪影響を及ぼしたりするのか、食品製造の各工程で微生物の数がどのように変動するのかなど、細かなデータに基づく解析とそれに基づく事故発生の予測には至っていなかったのです。
そこで、2004年12月の食品安全委員会で、(1)まず、評価指針を作成し、(2)どの細菌やウイルスから評価するのか、という優先順位を決定、(3)そのうえで、自ら評価を始める……ということが決まりました。
連載第2回でも述べたように、多数のデータを一定の方針をもとに検討判断し、科学的に公平に評価するには、しっかりとした評価指針を持つことが重要です。専門調査会で協議した結果、「食品により媒介される微生物に関する食品健康影響評価指針」(暫定版)が2007年、決まりました。
「自ら評価」によりカンピロバクターを検討
これと並行して、科学者で構成された「微生物検討グループ」が、カンピロバクターや腸管出血性大腸菌など主なハザードについて国内外の調査報告書や論文を収集して情報を整理しました。
これらの結果は、「リスクプロファイル」として公表されました。カンピロバクターについては、山本茂貴・食品安全委員会現委員長が当時、国立医薬品食品衛生研究所食品衛生管理部長として作成に尽力しました。
そのうえで、専門調査会でどのハザードからリスク評価を進めるか議論し、国民を対象とした意見交換会も経てカンピロバクターの「自ら評価」を進めることが決まり、2007年に開始しました。カンピロバクターといっても、「属」の名称であり、「種」は数多くあります。リスク評価の対象は、多数の食中毒を世界中で引き起こしていたCampylobacter jejuniとCampylobacter coliとされました。
現状の食中毒リスクを推定し、飼育から消費までの各段階で対策を講じた時にリスクがどの程度低減するかをシミュレーションにより示すことにしました。ワーキンググループで計8回の議論を経て2009年、リスク評価書がまとまりました。
市販の鶏肉の多くにカンピロバクター
まず、市販の鶏肉の多くはカンピロバクターに汚染されていることが明らかとなりました。食品安全委員会がさまざまな調査結果を収集して調べたところ、小売り段階での国産鶏肉の汚染率は32〜96%でした。
カンピロバクターは熱には弱く、鶏肉も中心部を75℃以上1分以上、火を通せば殺菌できます。しかし、「鶏刺し」や外側を軽く炙った「鶏たたき」(鳥刺し、鳥たたきとも表記されます)として生又は加熱不十分な状態で食べられている実態がありました。そこで、鶏肉が飼育から食卓に上がるまでのフードチェーンの各段階で、カンピロバクター感染がどう広がり、食中毒の発症につながるのか、流れを追いました(図4)。
図4 カンピロバクター汚染に関係するフードチェーンの各段階
農場ではブロイラーの場合、ヒナの導入から40〜60日で出荷されます。一羽の鶏の腸管内にカンピロバクターが定着すると、鶏舎内で急速に感染が拡大します。
食鳥処理場に搬入された鶏はとさつ、放血、湯漬け、脱羽、内臓摘出、洗浄及び冷却された後、もも肉、むね肉、内臓等に分け包装され冷蔵出荷されます。感染鶏と非感染鶏を区分せずに処理すると、工程で交差汚染が起き、非感染鶏もカンピロバクターで汚染されます。
さらに、家庭や飲食店で調理し食べる際、カンピロバクターに汚染された鶏肉を生や加熱不十分で食べると食中毒につながります。また、鶏肉を調理する際に、カンピロバクターが手指や調理器具などに付き、ほかの調理済み食品(RTE食品※)にうつる「交差汚染」が起きると、その食品が加熱されないまま食べられることになり、こちらも発症するケースがあります。
※RTE食品:消費者が購入後、加熱調理をせず食べる食品(Ready-to-eat foods)
各段階での調査や研究結果を収集し、食品安全委員会がリスクを推定した結果が、先に説明した「鶏肉の生食が、圧倒的にリスクが高い」という内容です。
各段階の対策のリスク低減効果を推定
食品安全委員会はさらに、各段階で対策を講じた場合のリスク低減効果についても、細かくシナリオを作り推定しました(表1)。その結果、表2、3のようになりました。
対策 | シナリオ |
---|---|
農場での管理 | 農場における衛生管理を強化することにより、汚染農場の割合の低減を図る |
食鳥処理場での区分処理 | 食鳥処理場において、汚染農場から出荷された鶏と非汚染農場から出荷された鶏を区分して処理することにより、食鳥処理場における交差汚染の防止を図る |
冷却水の塩素濃度※管理の徹底 | 食鳥処理場の冷却工程において、冷却水の塩素濃度が所要の濃度を確保できるよう管理を徹底することにより、汚染濃度の低減を図る |
調理(加熱の徹底) | 消費者・従事者の意識啓発・教育等を通じて、家庭及び飲食店における鶏肉の生食、不十分な加熱を避けるなど、喫食方法の改善を図る |
調理(交差汚染の防止) | 消費者の意識啓発・教育等を通じて、家庭及び飲食店における調理の際の衛生管理を向上させることにより、交差汚染の低減を図る |
対策 | 低減率 |
---|---|
食鳥処理場での区分処理 | 44.0% |
食鳥処理場における冷却水の塩素濃度管理の徹底 | 21.4% |
対策 | 対策の効果に応じた食中毒リスクの低減率 | |
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40% | 80% | |
農場汚染率の低減 | 3.2% | 6.1% |
加熱不十分割合の低減 | 0.1% | 0.2% |
調理時交差割合の低減 | 4.5% | 9.4% |
生食割合の低減 | 35.0% | 69.6% |
表2のとおり、食鳥処理場で感染鶏と非感染鶏を「区分処理」できれば、リスクは44%も下がると推定されました。一方、表3でみられるとおり、農場の汚染率を80%低減しても、食鳥処理の段階等における交差汚染の影響から、最終的な食中毒リスク低減効果はわずか6.1%と推定され、この対策だけでは効果的とは言い難いこと、調理時の改善は効果が小さく、そもそも、生食の割合を下げることが大きな効果を持ち、生食の割合を80%下げると食中毒のリスクが69.6%も下がることが明らかとなりました。
さらに、食鳥処理場での区分処理+冷却水の塩素濃度管理の徹底+生食割合の低減という「対策の組み合わせ」により、食中毒リスクは88.4%も下がる、と推定されました。
各機関が、生食をしないように呼びかけるが……
表2、3を見ていただくと、こうした対策別のリスク評価が重要であることが理解いただけると思います。漠然と「生食が原因だ」ではなく、「どの対策が、効果を持つのか」がわかれば、強化すべき方策などが見えてきます。
評価書は「実行可能性を検討の上、各対策について実現に向けた具体的な対応を早急に進めることが重要である」と示し、とくに「生食割合を低減するための啓発に努めることが重要である」と記載しています。
この後、リスク管理機関である農林水産省や厚生労働省、消費者庁は「鶏肉は十分に加熱して食べよう」と盛んに呼びかけています。また、一斉取締まり等による監視指導も行っており、飲食店で食中毒が発生すると自治体から営業禁止や停止等の行政処分が出しています。農場や食鳥処理場でのHACCPの考え方を取り入れたカンピロバクター低減策も進んでいます。
昔から鳥刺しが提供されてきた鹿児島県や宮崎県は、生食用の鶏肉の基準目標を設け、農場や食鳥処理場、流通・小売での厳しい管理を求めています。同時に、子どもや高齢者など抵抗力が弱い人たちは生食を控えるように伝えています。
しかし、残念なことに、図1で示すように全国的には、カンピロバクターの食中毒事件がなかなか減りません。
「新鮮だから安全」は間違い
事業者や消費者にリスクを正しく理解してもらうには、俗説の否定も大事です。カンピロバクターは微好気性菌で、室温だと肉の表面にいて空気に触れる菌は死滅してゆきます。また、30〜46℃という比較的高い温度を好むため冷蔵流通をしていれば菌は増殖しないと考えられています。つまり、通常の「細菌は、時間が経つにつれてだんだん増えてゆく」というイメージとは異なり、「新鮮だから菌は少なく安全」というフレーズは成り立ちません。しかし、多くの店が「朝びきの鶏肉は新鮮だから安全」などとアピールしています。関係省庁は皆、間違いだとしています。
逆に、「新鮮だからこそ危険」という言い方をする人もいます。カンピロバクターが空気に触れると死滅してゆくので、新鮮な時には菌数がもっとも多い、というイメージからでしょう。「新鮮だからこそ危険」は逆説的であり面白いせいか、報道関係者が言いたがります。しかし、近年の研究により、カンピロバクターは空気の多い過酷な環境では、バイオフィルムなどを作り生き延びていることもわかってきました。時間が経つと、肉についていたほかの菌が増殖する可能性もあります。「新鮮だから危険」というフレーズも問題あり、です。
新しい知見も伝え生食回避を訴えてゆく
減らないカンピロバクター食中毒。食品安全委員会は、そのリスク低減に向けて技術研究や調査による情報収集などを継続しています。新しい知見を追加し2018年にリスクプロファイルを公表。2021年にもさらに、国内の汚染状況や国内外の最新のリスク管理措置なども示したリスクプロファイル改訂版を公表しました。バイオフィルムなど、カンピロバクターの生存戦略についての情報を追加。東京都などの調査で、若い世代ほど鶏肉を含む食肉の生食の割合が高いという結果が出ており、こちらも追記しています。
これほど力を注ぎ「リスクが高い」と訴えているのに、飲食店が鶏刺しや鶏たたきを客に提供しカンピロバクター食中毒に、というニュースが今も、しばしば流れます。いまだ、「新鮮だから安全だと思っていた」という言い訳も聞こえてきます。カンピロバクターは、食品のリスクへの理解や対策の複雑さ、難しさを象徴するようなハザードなのです。 山本茂貴・食品安全委員会委員長にとっても、カンピロバクター対策は20年以上前から取り組んできた非常に思い入れのあるテーマです。山本茂貴委員長は「カンピロバクター食中毒は決して軽い病気ではありません。後遺症としてギラン・バレー症候群に罹患することが報告されています。鶏肉の生食はたいへんリスクが高い、ということを知ってください」と改めて呼びかけています。 |
食品安全委員会 山本茂貴委員長
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