農薬の安全を確保するために、食品安全委員会が果たす役割
令和4年1月14日公開
食品安全委員会は2021年10月28日、農薬をテーマに食品安全セミナー をオンライン開催しました。応募して参加した200人あまりの市民に対し、食品安全委員会のほか農林水産省、厚生労働省、環境省、消費者庁の担当者が説明しました。
参加者から事前に寄せられた質問や意見は約70に上り、一つずつにていねいに答えることはかないませんでした。そこで、食品安全委員会が担当する「食品健康影響評価」、つまり農薬のリスク評価に関して寄せられた質問や意見について、改めて農薬を担当する浅野哲委員から説明してもらうことにしました。今年7月に就任した浅野委員ですが、それまで11年間、農薬専門調査会の専門委員として評価に携わってきました。
食品安全委員会がどのような考え方に基づき公正な食品健康影響評価を目指しているか、知ってください(インタビュアー:松永和紀委員)
食品安全委員会はADIやARfDを決定する
【松永】
農薬の再評価制度が今年度、始まります。すでに登録されているすべての農薬について、15年ごとに最新の科学的知見に基づき安全性等の再評価を行います。食品安全委員会も準備を進めています。ところが、誤解も広がっているようで、「食品安全委員会が再評価した後、基準値が厳しくなるんですよね」などと尋ねられます。「いえ、そういうことではなくて……」と説明しなければなりません。
【浅野】
農薬の制度は、食品安全委員会や各省がそれぞれ、さまざまなことを分担していて、わかりにくいですからね。
【松永】
そこでまずは、食品安全委員会の取り組みを説明する前段階として、農薬制度の全体像、各省と食品安全委員会の役割について触れていただきましょう。
【浅野】
農薬登録制度は、農薬メーカーなど事業者がさまざまな試験結果等を国に提出し、国が品質や安全性を確認したのち農薬として登録され、製造や販売、使用などが認められるものです。農薬が適正に使われたとしても食品に微量に残留し、皆さんたちが摂ることになりますので、食品安全委員会が健康への影響を検討し、許容一日摂取量(ADI)を決定します。ADIは、ヒトがその物質を毎日一生涯にわたって摂取し続けても、健康への悪影響がないと推定される一日当たりの摂取量のことです。また、急性参照用量(ARfD)も決めます。これは、ヒトがその物質を24 時間又はそれより短時間に大量に摂取しても、健康への悪影響がないと推定される量のことです。食品安全委員会の農薬に関する専門調査会が詳細な調査・審議を行います。
各食品の基準値を決めるのは厚生労働省
【松永】
農林水産省や厚生労働省の役割は?
【浅野】
残留農薬の安全性については食品安全委員会がしっかり評価しますが、農薬使用にあたっては、農家が使う際に吸い込んだり皮膚についたりする場合の安全性や、使った際に土壌にどれくらいの期間残るのか、周辺のほかの生物に影響を与えないかなど、検討しなければなりません。もちろん、殺虫や殺菌、除草など農薬としての効果の確認も重要です。農林水産省や環境省がこれらの点についてもきちんと検討したうえで、ADIやARfDも考慮し、農林水産省が使用基準を決めます。さらに、厚生労働省が使用方法に基づく残留データから残留基準値を設定し、各食品からの農薬摂取量がADIやARfDを超えないことを確認しています。
【松永】
食品安全委員会や各省がいろいろなことを調べ確認した末に農薬は登録に至ります。農家が農薬を正しく使えば、各食品の残留基準値を超えることはありません。制度の大枠をご説明いただいたところでさっそくですが、食品安全委員会が実施し食の安全を守る根幹をなす食品健康影響評価について、詳しくお聞きしましょう。
さまざまな毒性試験の結果の提出が求められる
【浅野】
評価といってもいろいろなパターンがあるのですが、もっとも普通なのは、農林水産省が農薬メーカーによる農薬登録の申請を受け、厚生労働省に基準値の設定依頼を行い、それを受けて厚生労働省が食品安全委員会に食品健康影響評価を依頼する、というパターンです。申請者が提出したさまざまなデータが食品安全委員会にも提供されます。
【松永】
食品安全委員会は、どのようなデータを審議するのですか。
【浅野】
安全性に関する知見としては、動物にその成分を与えて影響をみる毒性試験が必要です。一度に大量を与える試験や、少量を長い期間与える試験、発がん性や遺伝毒性、生殖への影響など、かなりの種類の毒性試験の結果の提出を求め内容を精査します。
【松永】
中でも、遺伝毒性試験は重要ですね。
【浅野】
そのとおりです。発がん性を示す化学物質の中には、DNAを直接傷つけて遺伝子の突然変異を生じさせる「遺伝毒性」を持つ物質と、DNAを障害しない「非遺伝毒性」のものがあります。前者はどんなに微量であっても安全とはいい切れず、ADIやARfDを設定できません。一方、後者の非遺伝毒性発がん物質は、一定量以上を継続的に摂取していると細胞増殖等を刺激する作用があり、別の要因で遺伝子が傷つけられた細胞のがん化を促してしまうもの。摂取量が少なければがんにはつながらず、ADIやARfDを設定できます。農薬の毒性評価の場合には、遺伝毒性があるものをしっかりと見極め排除しなければなりません。
【松永】
代謝試験というのもあります。
【浅野】
農薬は使われたあとに作物の体内で代謝されてほかの物質に変わっていることがありますし、作物を家畜が食べて代謝され、肉や乳などにその代謝物が含まれていることもあります。ヒトは残留した農薬と代謝物の両方を食べることになりますから、農薬が作物や家畜にどう代謝されているかを確認するのも大事な作業です。
【松永】
申請者に提出を求める試験結果は非常に多いのですね。それに、その試験はOECD(経済協力開発機構)のテストガイドラインという国際的なルールに沿って、GLPという適切な試験のやり方をして第三者のチェックも受けて行われたものでなければいけない。
【浅野】
評価する際に、どのような種類や質の試験結果を求めるかについてはあらかじめ、「残留農薬に関する食品健康影響評価指針」というのを定めて公表しています。それに従って申請者がデータを提出します。
再評価は、最新の科学に基づいて行う
【松永】
再評価制度により、食品健康影響評価の内容も変わってくるのですか?
【浅野】
再評価制度は、さらなる安全性の向上や国際的な標準ルールへの調和、科学の進展に合わせて規制も適切に変更してゆくことを目指し、始まります。食品安全委員会は、再評価を契機とする評価が始まることも踏まえ、「公表文献の取扱いについて」[PDF:441KB]、「毒性試験での有害影響の判断に関する考え方」[PDF:389KB]、「コリンエステラーゼ阻害作用を有する農薬の取り扱いについて」[PDF:179KB]等も新たに策定しました。最新の科学に基づき一貫性を持った評価を行い、評価審議において透明性を確保します。
企業から提出されたデータのみを審議するわけではない
【松永】
食品健康影響評価に対しては批判的な見方があります。よくある意見として「農薬メーカーが提出する試験データを検討するのだから、農薬メーカーに都合のよい結果が出るに決まっているではないか」というのがあります。
【浅野】
そんなことはありませんよ。農薬メーカーが行って、たまたまよい成績が出た試験結果のみを提出する、というようなことはできない仕組みになっていて、テストガイドラインやGLPにより試験の質は担保されます。また、必要性に応じてデータの追加もこちらから要求します。EUや米国など各国の農薬審査の情報も参考にして、議論の俎上にのぼった学術論文等を食品安全委員会でも検討します。評価にあたる専門委員から、「こういう論文も発表されているが、関連するのではないか?」と意見が出て、論文を取り寄せて議論する、というような場面もあります。
【松永】
個別の農薬の審議は、その企業の知的財産等の侵害を避けるため非公開で行いますが、食品安全委員会の議事録は概ね3カ月後ぐらいには公開されます。議事録を読んでいただければ、恣意的評価はしていないことを理解してもらえるはずです。
なぜ、ヒトでの試験を行わないのか?
【松永】
もうひとつ、毒性評価については、動物を用いた試験で行うから信用できない、ヒトでの試験が行われていない、という批判をよく聞きますが、これはどのように考えたらよいですか?
【浅野】
毒性試験は動物で、というのは、国際的に決まったルールです。OECDテストガイドラインで、この毒性をみるにはこの動物種を何匹用いて、というのが細かく決まっているのです。毒性の種類にもいろいろありますので、最適の動物種が選ばれています。
【松永】
医薬品のようにヒトで試験をしなさい、と市民から責められたりもします。
【浅野】
農薬は、医薬品とは異なります。医薬品はヒトでの効き目が出なければなりませんが、農薬はヒトには影響がないが病害虫や雑草には効く、という物質が選ばれています。動物試験では、ヒトに換算すると1日に農薬を何十gも食べさせるような実験を行って、動物でどの臓器にどのような影響が出るか、詳しく調べます。ヒトにそんな実験をするのは倫理的に許されません。一方、実際に農産物に残留している程度の農薬だと、微量過ぎてヒトに食べてもらっても影響を検出できません。だから、動物で試験をするのです。複数の動物種で試験を行い、ヒトでの影響を綿密に推定して評価しています。
【松永】
そこで、安全係数という考え方が使われているのですね。各種の毒性試験でわかった無毒性量、つまり、これ以下であれば影響がみられない、という量の中からもっとも小さな数字を把握する。さらに、動物の種類によって感受性に違いがあるかもしれないので、10で割る。そして、ヒトは成人や子ども、高齢者など、強さに個人差があることも考えてさらに10で割る。つまり、安全係数として10×10=100という数字で無毒性量を割ったものを、許容一日摂取量、ADIと決めています。
【浅野」
動物実験の無毒性量を安全係数で割ってADIを決める、というやり方は、国際的に共通です。ちなみに、厚生労働省は、国民の実際の農薬摂取量がどの程度か調べて毎年公表しているんですよ。各都道府県の衛生研究所の方々が協力し、店頭に並んでいる食品を集めて分析し、一般的な食生活をする場合にどの程度の農薬を食べるのか確認しています。ほとんどの農薬の1日摂取量はADIの1%もありません。
複合影響への質問をよく受ける
【松永】
もうひとつ、農薬と別の農薬を一緒に摂取した時の複合影響が調べられていない、という意見もよく聞きます。
【浅野】
医薬品はヒトに効き目をもたらすことを目的にかなりの量を投与します。そのため、医薬品同士や医薬品と食品の複合影響は起こり得ます。しかし、食品における農薬の残留量やその食品を食べた時の農薬摂取量はADIに比べて著しく低いので、その可能性は非常に小さいと考えられるのです。ただし、複数の化学物質を同時に摂取することについて、世界保健機関(WHO)と国連食糧農業機関(FAO)が作っている専門家会議などが今、どのようにしたらリスク評価をできるのか検討を進めていますので、食品安全委員会も最新の情報収集に努めています。
ネオニコチノイド系殺虫剤の再評価は今年度から
【松永】
今回の食品安全セミナーは、特定の農薬についての質問が多数来ました。そこで、もっとも質問の多かったネオニコチノイド系殺虫剤について、お尋ねします。この殺虫剤は、神経系に作用し神経伝達を阻害することで殺虫効果をもつため、ヒトの神経系、とくに子どもの脳の発達に影響するのでは、と不安が生じています。7成分が農薬登録されていますが、これまでの食品健康影響評価では神経系への影響は検討されたのでしょうか。
【浅野】
評価においては、子どもの脳の発達への影響を検討する「発達神経毒性試験」等の結果も検討しました。リスクを示す根拠として社会的な関心を集めた学術論文も精査し、評価に用いるかどうか判断し、そのうえでADIやARfDを決定しました(イミダクロプリド、アセタミプリド、クロチアニジン、チアメトキサム、ジノテフラン、ニテンピラム、チアクロプリド)。評価書案をまとめた後には多くの場合、パブリックコメントにかけて国民の意見を募りますが、「なぜ、この論文を評価に取り入れなかったのか」などという意見に対しては、回答でその理由を説明し公開しています。
【松永】
ネオニコチノイド系殺虫剤の多くは今年度、再評価に必要なデータ、書類が提出されて再評価がはじまります。2022年中にも評価要請がくると見込まれますが、食品安全委員会の判断はどうなりますか?
【浅野】
再評価は最新の科学的知見をもとに行います。さまざまなデータや書類が提出されて専門家が検討したあとでないと、なにも言えませんよ。近年、研究が盛んにおこなわれて論文として発表されていますので、論文を集めたデータベースで検索して世界の研究を収集し、提出されることになっています。それらの試験の質、結果を専門家がていねいに審議し、評価の目的に適合し、信頼のできる試験結果については取り入れ評価書に反映させます。
除草剤グリホサートも再評価へ
【松永】
除草剤グリホサートについても関心が高まっています。国際がん研究機関(IARC)が2015年、「ヒトに対しておそらく発がん性がある」というグループ2Aに分類したことで、発がん性があるのでは、という懸念があります。
【浅野】
この成分も今年度、再評価がはじまります。食品安全委員会は以前、評価書をまとめた時には、IARCの見解も精査したうえで、科学的な根拠を持って「食べた場合の発がん性はない」と結論しました。日本の食品安全委員会だけでなく米国や豪州、ドイツ連邦などのリスク評価機関も同様に発がん性を認めていません。再評価にあたっては、ほかの農薬と同様に各種の指針や考え方に沿って評価を行います。社会的な関心が高いから厳しくする、とか、緩くするというようなことはなく、最新の科学的知見に基づき評価を行うことをご理解いただきたいです。
再評価は何年かかるのか?
【松永】
再評価について、食品安全委員会での残留農薬の食品健康影響評価には、どの程度の時間がかかりますか?
【浅野】
農薬ごとに事情は異なるので、何年で、というようなことは言えません。ただし、新しい農薬の食品健康影響評価を行う場合、従来は数カ月〜1年ほどかかっていました。再評価では公表文献も体系的に収集され提出されますので、文献数が多い場合には、その分、評価に時間を要することが想定されます。
【松永】
しっかり評価するには、それなりの時間が必要、ということですね。海外では、農薬メーカーとつながっている専門家が審査に携わっているなどとして批判され辞任したケースなどもあるようですが。
【浅野】
食品安全委員会では以前から、審議に参加する専門家が農薬メーカーなどから研究費を受け取るなどの「利益相反」を生じていないかをチェックし、該当がある場合には審議から外れてもらうルールを持っています。再評価でも同様に対処します。
【松永】
今日説明していただいたことは実は、ほぼオープンになっている情報です。指針や議事録、パブリックコメントに対する回答などで情報公開しています。食品安全委員会が発行し改訂を続けている「食品の安全性に関する用語集」でも、詳しい毒性試験の内容等について解説しています。しかし、残念ながら一般の方、そして報道関係者の方々にもあまり知られていません。もっとわかりやすく説明し意見を交換する「リスクコミュニケーション」が、これまで足りなかったように思います。
【浅野】
食品安全委員会は、科学的根拠をベースに動いている機関です。国民の健康保護が最も重要であるという基本的認識のもとに、一貫性、公正性、客観性および透明性を持って食品健康影響評価とリスクコミュニケーションを行うという使命があります。情報発信にも力を尽くしてゆきたいと思います。
<参考文献>
農薬コーナー (農林水産省)
OECD毒性試験ガイドライン翻訳版 (国立医薬品食品衛生研究所)
GLP適合確認 (独立行政法人農林水産消費安全技術センター(FAMIC))
食品中の残留農薬等 (厚生労働省)
(残留農薬がどのように決められているかなどの解説、残留農薬検査の結果や一日摂取量調査結果などが、情報提供されている)